Pinned toot

ルービックキューブをすごい速さで解決できるみたいなもので、すなわち人間的な優劣を示すものではない。

「正しく」認識できる力こそが賢さであって、ロジック組み立てがすごいなんてのは、知性よりも技能に属する能力だ。

ロジックの組み立てだけに優れてて、認識がおかしな奴が世の中にはたくさんいて、そう言うやつは教祖っぽくなって影響力がデカいのでどうしようも無い。

もしたった一人で自給自足しながら生きていくとしたら、生活のための営みはなんと呼ぶべきだろうか? まあ、交換ができないのでは仕事も活動も成り立たないので人間として生きているとは言えないのかもしれない。

狩猟も採集も一人ではおぼつかないのであれば、我々にとっての労働は社会的であらざるを得ない。社会規範を守り同一的メンバーであると認められなければ報酬は貰えない。

確かに我々は一種の社会的義務、あるいは美徳として労働し、その対価として生活を守られるような感覚のもとで生きている。利の価値を得ているようで善の価値を内面化している。

私的生活を維持するためのやむなき営みが労働であるが、その労働が生み出す価値は社会的である、と。

「(労働する動物の)共同性は、基本的には全て同一の個体が集合することから生まれるのである。(略)このような「労働の集団的性格」は(略)、個別性やアイデンティティの意識を尽く本当に捨て去るよう要求する労働が生命過程の中で果たす役割ははっきりしている。しかしそれ以上に、労働が生み出す「価値」は全て完全に「社会的」である」p.340

なおメインマシンには1060が刺さっている模様。でも計算機やるならLinuxでやりたいやん?

CUDA Toolkit が1030サポートしてたっけと思って調べたらなんとかなるらしい。1030なりになんとかなるらしい。

GT1030が余っているので計算機サーバーにすることを思いついた。

牧口が時代性からどの程度自由だったか、あるいは不自由だったかは検討が必要。

公による私への圧力が1つのテーマであるわけだな。牧口の価値論は全体のことも考えないと個の利益も失うよという主張が含まれるが、戦前の教育者である牧口がどのような意図で論じていたのか。公私の概念対立を止揚しようとしたのか、デモクラシー的に広まってきた私の自由を制限しようとしたのか。

自由都市堺では自由な政治活動ができたのだろうか否か。

日本では例えば室町末期から戦国あたりがそういう雰囲気があった時代になるんだろうか。江戸時代以降は確実に公が私を圧迫する社会だよね。

実際古代ギリシャがそんなにユートピアだったのかわからんけども。

かつてギリシャでは、公の場こそ、私が何であるかを語り主張する場であったが、現代ではそれははしたないこととされ、私的領域でのみ私について語ることが許される、と。

すなわち、おまえが何者であるかには興味がない、お前が何を成したかでものを語れ、という近代の圧力こそが人間を阻害し、苦しめている、ということね。なるほど。

この節、それの一体何が悪いと言われて反論できるのだろうか。価値判断が含まれる主張であるかないか。

Show more
Postodon

The social network of the future: No ads, no corporate surveillance, ethical design, and decentralization! Own your data with Mastodon!