だから、夜中2時まで皿洗いをしても、そりゃ愚痴は出るけども、本当は楽しかった。ひとつひとつ、自分にこびりついた滓がはがれていくような感覚があった。自分の力で、自分の意志で生きている喜びがあった。
私はいつも、外壁に公明党のポスターを貼っていた、生活保護を受けながら息子を育てるお母さんのことを思い出す。私は、数多の人の不幸を踏みにじって生活をしていた。そのことが心苦しかった。
正規職に就かなかったのは、もちろん私の実力不足ということもあるけれど、ひとつはもう信じるものがなくなって、どうでもいいと思っていた。そして二つには、29まで親の金で学生をやり、議員秘書となっては学会員の票で得た税金で大した仕事もせず年700万円をもらい、一度も自分で生きたという実感がなかったからだ。
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これはもう5年以上前に撮った写真。
そもそもターンテーブルもオーテクのエントリーモデルをハドフでかったものだし、フォノイコもターンテーブル内臓だし。でもいくら高級なセットにしても俺はたぶん音の違いは一切わからない。
さすらいの自宅サーバー管理人。平和学修士。元某連立与党議員秘書。広義の医療従事者。世の中のことは大概なんでも広く浅く知っている。令和のダヴィンチと呼ばれていない。